(いもいもデイスクール 歩く教室にて)
はじめまして。たいきです。現在は、いもいもデイスクール、低学年クラスを中心に担当しています。もし大阪弁を話している人を教室で見かけたら、きっと僕だとおもいます。大阪で20年以上過ごしてきた、いもいもでは珍しい生粋の『なにわ男子』です。笑
いもいもに入った経緯を書こうと思ったのですが、いざ書こうとすると後付けの理由ばかりになってしまうので、今現在、自分がいもいもに感じている魅力についてを語りたいと思います。少しでも、僕のことといもいもを知る機会になれば幸いです。
いもいもの魅力の1つは、自分と他者との関係性を他の何かに遮られないことです。余計なことは考えず、相手自身に集中することができます。体裁や誰かが求める子どものために、と振る舞いを強要されることはありません。当たり前のことのようにも聞こえますが、自分の素直な気持ちを子どもに届けるのはなかなか難しいことで、変に意図を持って話すと、子どもにその浅はかな考えは見透かされて、心の距離はなかなか近付きません。相手を?るときも形式やシステムによってではなく、相手に思いやりをもって?る。シンプルなことですが、この3年間、自分なりに誠実でいられる環境を与えてもらったことが子どもと信頼関係を築く上で欠かせないものだったなと感じています。
もう1つの魅力は、自分のどうしようもない部分に目を向ける機会があったことです。代表の井本はその事について『自分の弱さに向き合う』という表現をよくしています。それが長い間、自分の中ではどうにもピンと来ませんでした。
あるとき、その自分の中の素直な気持ちを『リトルたいき』と解釈することで、自然に生まれる正直な(そしてどうしようもない)自分の気持ちをほんの少し知ることができました。まだその『リトルたいき』とは仲良くできておらず、進んで弱い自分を認めることが難しいのですが、いもいもに居て毎日のように考えていたことで、自分の側に注意深く目を向けるきっかけとなりました。これまで散々押し込めてきたため、今は意識しても 『リトルたいき』が顔を覗かせてくれることは少ないのですが、これから時間をかけて弱い自分に引っ張られることなく、ゆっくり向き合っていこうと思っています。
これはあくまで、自分が感じてきたことのほんの一部です。いもいもが何なのか、書いた内容が魅力といっていいのかよく分かりませんが、普段からスタッフ間で考え続けてきた問いや思考そのものが、自分の中に時間をかけて染み込んできているような気がします。
そんな私も2024年度の4月から公立中学校の教師として働くことになりました。
経緯としては、いもいもに入ってからさまざまな背景を持った子たちと出会うようになり、「この子たちが学校にいくことの意味は何だろう?」と改めて疑問を持つようになりました。頭で考えるだけではなかなか納得できず、そこで現場での関わりを通じて、学校の目指すことを自分の目で確かめたいと考えるようになりました。また同時に、公教育という仕組みそのものにも興味が湧いています。
最後に、いもいもは画一的な場ではないので、その日その瞬間ごとに自分が考えもしなかったことに出会える教室だとおもいます。ぜひ、ご自身でいもいもがどういう場かご体感いただければ幸いです。