いもいもに通ってくださっている保護者の皆さまから寄せられた声をご紹介します。
子どもたちが教室でどのように変化していくのか、その一端を感じていただければ幸いです。
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- 小学1-3年生・イブニングクラス(平日夕方と土曜のクラス)
- 小学4-6年生・イブニングクラス(平日夕方と土曜のクラス)
- 中高生・イブニングクラス(平日夕方と土曜のクラス)
- デイクラス(平日昼のクラス)
小学1-3年生・イブニングクラス(平日夕方と土曜のクラス)
毎回、いもいもに行くことを楽しみに学校から帰ってきます!勉強してる・やらされてるという感じが一切なく、夢中になる中で脳が活性化してるように感じます。
出来たことも教えてくれますが、できなかったこと、もう少しこうするとどうなっただろう?ととてもポジティブに悔しがっていることもあり、授業の後でも夢中の余韻に浸っていて見ていて楽しいです。
息子が自分のアイデアに自信を持ち(無自覚的に)、人と比べず自然体でいられるのはいもいものおかげもあるなと強く感じてます。
先生方が子どもを決して否定せずありのままに受け入れてくださり、また、子どもが自分で思考を獲得していくプロセスを忍耐強く見守ってくださっています。以前はわからない問題を嫌がり、すぐに答えを知ろうとしていましたが、少しずつ粘り強さが育っていて、何より子ども自身が楽しく通っています。
体験授業中の先生方の様子がとても印象的だった。パズルと格闘する子供達の間を楽しそうに回遊し、一人一人の子供が今、何をどう考えているのか読み解きながら、感心したり、驚いたりして、その試行錯誤がゴールに辿り着く(あるいは迷路にはまり込んでなかなか抜け出せない)様子をただニコニコと眺めていた。途中の声掛けも、「そこだよねー、そこが難しいよねー、そこをどうするかだよねー。」とか、「おおー行けたねー!やったねー!」とか、教師というよりもむしろ、少し前に同じ道を通った先輩や同志のようだった。
プロセスを見ると言っても実際はとても難しく、どこでも誰にでも出来ることではないと思う。試行錯誤に足るだけの、子供が夢中になって考えることをやめられない魅力的な教材があり、子供の試行錯誤のプロセスがどのような考え方に基づき、そこにどのような価値や驚きや魅力があるのかという思考の流れと本質を読み解く目がなければ難しい。それができる稀有な教材と先生が、いもいもには存在する。子供が自分でも問題を作りたい!と作り出してしまうほどの魅力と余白のある教材はなかなかないのではと思う。
本人の感じ方や考え方を面白い!と受け入れてくださって、大事にしてくださっているのが伝わりとてもありがたく思っています。学校や親はどうしてもできていないことに目が行きがちだったり、得意そうなことを勝手に伸ばそうと考えたりしてしまいがちですが、評価やダメ出しのない、ありのままの自分で過ごせる場所になっていると思います。
学校は決められたやり方をしないといけないので「(学校と違って)自由に考えられるのが楽しい」と話しています。お友達の話を聞いたり、作っているものを見るのも楽しいそうです。
いもいものある日は朝から「今日は、いもいもがある〜」と話し軽やかに登校しています。好きな習い事ランキングで「ダントツ1位」とのことで、とても楽しみに通っています。
夏休みの特別講座からお世話になっておりますが、息子は集中を継続する事が苦手で目に入ったもの耳に入る音にすぐに気がそれてしまい、特に数理パズルの講座では教室にいることが最後までできるか非常に不安ではありました。しかし、蓋を開けてみれば、最後まで試行錯誤しパズルやゲームに取り組んでいたと聞き、非常に驚きました。
息子自ら「もっとやりたいもっと行きたい」と言うので、9月からのレギュラークラスにお世話になっております。
親として、やっと一つの事に自ら集中して取り組むことが見つかったと安堵し、今後も息子のやりたいを尊重し、いもいもという場で色々な事にチャレンジしてくれればと思っております。
体験の日からこれまで、一貫してとても楽しそうに通っています。以前は場所見知り、人見知りが強く、いくつかの習い事をすべて嫌がってやめてしまったのですが、いもいもは初めて楽しく通えた場所でした。わが子はどの環境も怖いのではなく、合う環境があるのだと知ることができました。いまも手探りの子育てではありますが、先生がたが親とは違う視点であたたかく見てくださっていることに助けられています。
蛇足かもしれませんが、中学受験の準備を始め、家庭ではまったく勉強していないのに生き生きと解ける問題があることに気づきました。おそらくいもいものワークと似ているところがあるためで、いもいもは「成績も上げます」かも笑と思っています。
数々の習い事をさせてきましたが、最終的には全て全力で拒否していた娘が今でも嬉々として通っている教室です。規律を重んじる学校に通っている中で、知らず知らずこうでなければならないという思いが生まれてきていると思います。教室での話を聞くと娘がありのままの考えを表現し、そこから先生方やお友達と発展させ皆で共有したり、ゲームしたり、、と目を輝かせて伝えてくれます。本来の娘はいきいきと自身の事を表現することが大好きだったはずなのに、親自身、ありのままの娘を受容することから本来の学びが始まることを忘れていました。
先生方は授業中、子どもたちを文字通り「見守っているだけ」と伺っています。どうしても考えさせるワークを子どもとやると、指示や補足をしたくなり、子どもの自主性を阻んでしまいがちなので、この姿勢にとても共感しています。また、よく授業報告で「予想外の展開になって、とても驚いた!」と報告いただくのですが、子ども達といっしょの目線で関わっていただいている証だと感じています。
「考えることが楽しくなる」というコンセプトに惹かれ、体験授業に伺いました。
息子はそれまでは集団があまり得意ではなく、知らない子たちの中に入っていくような習い事は全部拒否してきたのですが、いもいもは「楽しかった!通いたい!」と即答でした。
それからというもの、「いもいもは習い事の中で一番好き!」「毎日いもいもだったらいいのに」と言うほど大好きになり、四谷の駅を降りると「ママ、先行っていい?」と私を置いて走って向かいます。
授業がどれだけ楽しいのか、授業終了時刻に迎えに行っても、夢中になって問題を解いていて「もう帰るよ」と何度言っても全然帰ろうとしません。
何がそんなに楽しいの?と聞いたら、「学校は言われたことをやるだけだけど、いもいもは自分でいろいろ考えてできるのが楽しい」という答えが返ってきました。まさに私が共感したいもいものコンセプトを、子どもがしっかりと受け取っていることに驚きました。
授業では毎回違うテーマですが、毎回とても楽しんでいる様子を見ていると扱っているテーマが好きというより、やはりそのテーマを通して「考える」ということを楽しんでいるんだなと感じます。
いもいもにいるときの息子は本当に生き生きとしていて、「子どもは本来学ぶことが大好き」とおっしゃっていた井本先生の言葉が本当にその通りなんだなと実感しています。
親は勉強然り、いろいろと子どもの「できない」ことに目が行きがちで、ついそれをできるようにしようと考えてしまいますが、いもいもに通っていると、先生方が息子の良いところを普段気付かないような視点からすごく褒めてくださるので、「あぁそんな素敵なところがあるのか」とありのままの息子を誇らしく思えるようになり、とても良い親子関係を築くことができるようにもなりました。
いもいもは私たち親子にとって本当にかけがえのない場所になっています。
小学4-6年生・イブニングクラス(平日夕方と土曜のクラス)
毎回楽しみに通い、嬉々として作問に取り組んだり、学年を超えた友達との共同作業を楽しんだり、先生方とのお喋りに興じたりと、いもいもが子供にとってとても大切な時間と場所になっている。いもいもは(自分にとって)要だそうだ。
子供の教材に対する反応から、すぐに次の授業がデザインされていくという鮮度と柔軟性が、生き生きとした学びに繋がっているのを感じる。子供にとっては、自分の考えたことが授業に生かされる経験を通して、自信や自尊心や自己肯定感の向上に繋がっているのだと思う。
この子どうなるんだろう?という不安を、この子どうなるんだろう?というワクワクに変えてくれる教室。
他の教室や習い事との一番の違いは、子どもたちが毎週教室に行くのを本当に心待ちにしていることです。いもいも教室がない週は、「あー、今週ないのか…」と、子どもたち同士で残念そうに話しているのをよく耳にします。
授業時間が終わっても毎回居残り、夢中で課題に取り組んでいるので、定刻に帰宅することはほとんどありません。そのため、私たちも、いつの間にか定刻にお迎えに行くことがなくなってしまいました(笑)
先生方は、いつも子どもたちの興味を引くような、工夫を凝らした授業をしてくださっていると感じています。授業後には、目を輝かせながら挑戦した内容を得意げに説明してくれるので、それを聞くのが私たち親の楽しみにもなっています。
いもいもでは、自ら考え、試行錯誤し、仲間と連携して取り組むような課題が多く、学校だけでは学べない、そして今後より必要になるであろう素養が育まれていると実感しています。
実は教室まで片道1時間半ほどかかるところに住んでいるのですが、本人は毎回本当に楽しみにしていて、絶対休みたがりません。毎回終わった後の彼の様子を見ていると、いもいもが学校や他の場所とは全く違った新たなとても居心地の良い居場所になっているなと感じます。
また教室に通い始めてから、より粘り強く目の前に問題に向き合う姿勢、また俯瞰して物事を捉える姿勢をみる場面が増えたなぁと思っています。目の前のイシューに向き合うパターンの数がグッと増えたことを感じます。
みんな自分と違う発想だから話を聞いていて面白い、勉強かもしれないけど勉強とは感じない、でも気づいたら力が出てるのがいもいも、だそうです。
家だとリラックスし過ぎるし、学校だと色々周りに合わせるし。いもいもで考えてるときは集中してるから、いもいもにいるときの自分が本当の自分って感じがする。
親の感想ではなく、本人の感想ですが、いいなと思ったので送ります〜
頭の中にあることをそのまま出してよいんだよ、というメッセージを、具体的な関わりや、教材、雰囲気を通して、常に、伝えてくださっていると感じます。
娘は、小学校でなかなか自分の意見を言えないことが多く、クラスの班の仲間に、「はやくいってよ」「ぼーっとしてないで」と急かされ、また、なにか意見をいうと「意味分かんない」と受け取ってもらえなかった…と落ち込んでいることが多く、それが原因で学校にいきづらくなっている状況です。
いもいもでは、たくさんアイディアだせるのにね、と話してみると、娘は、「いもいもは、間違ってても大丈夫、という感じがあるから」と話してくれました。続けて、「間違ってても大丈夫だし、一緒に考えようと言ってくれる。責めないで、ゆっくり考えてって言ってくれる。そういう方がいいと思う。」と自分の考えを伝えてくれました。いもいもでの先生方からの関わりが、彼女の「こんな人でありたい」というイメージを生み出したのだと思っています。
中高生・イブニングクラス(平日夕方と土曜のクラス)
息子が中学校に入学し数学が大好きになったので、数学系の習い事を探し始め、いもいもと出会いました。
数学を教科として教えてもらえる習い事や塾はたくさんありましたが、いもいものように中学生にも思考の面白さを教えてくださる教室は唯一無二だと思います。
専門的な数学を使うというよりは、四則演算ができれば全員が楽しめる様々なスタイルの思考問題を先生が作成してくださっていて、その問題がとても秀逸で楽しいようです。
毎回大満足で帰ってきます。遅く帰ってきても、今日やった問題を私に、教えるのではなく解かせようとします。そして、いかに良い問題かを興奮気味に話してくれます。特性凸凹君なので、苦手なことはたくさんありますが、夢中になって話す姿は本当にキラキラしていて、できることならこのままずっと好きなことだけをさせてあげたいと思ってしまいます。
今、息子にとって居心地の良い場所はいくつかありますが、中でもいもいもは断トツで、「いもいもなら、毎日通いたい。」と言っています。息子の将来を考えてついつい余計な心配をしてしまいますが、「スーパー数理ラボ」の体験の際に、井本先生が息子のことをみて言った「好きと得意が一致していることはすごい強みになるよ。」という言葉が私の心の支えになっています。
今年は中学一年生になって夏キャンプにも参加しました。誰がいくのか何をするのか全く情報がないのに、いもいもだったら絶対楽しいから大丈夫って。親的には、一人でもいいんだ!すごい!って思いました。笑
いもいもだったら絶対大丈夫、安心して過ごせるという信頼がものすごく大きくて、習い事の枠を超えた心の成長を日々感じています。
あと、母親である私も、子育てに対しての感覚がとても楽になりました。子どもだけではなく、親も自分を見つけられる場所だと思います。親子共々大好きな教室ですっ!!
いもいもを通し、子供が粘り強く考えることの楽しさを実感できること、また学校とは違う環境の居場所ができ、親として通わせてよかったと感じています。
いもいもに入るかどうか検討している時、先生が保護者に仰ったお言葉は「ここに入っても学校の成績があがるようなことはしません!」でした。全く予想していなかった衝撃的な言葉でした。
あれから3年が経ちました。
結論は通わせて本当に良かったということ。学校の授業の枠をはるかに越えた内容でした。
数式を覚える、何度も問題を解く、そんなことではなく、ただひたすらに数字と向き合い、数字を楽しみ、答えの無い問いを皆で考え抜いて話し合っていく。
いもいもは、そんな素晴らしい教室です。確かに学校の内容とは全く関係無い内容ですが、いもいものおかげで数学だけは偏差値が70になりました。
いもいもの日は、毎回きらきらした目で興奮気味に帰ってきます。
息子はいもいもの先生方のおかけで、心から生き生きと、そして伸び伸びと学ばせていただいています。
試行錯誤する、目の前のことに集中する素晴らしい時間を過ごしており非常に有意義だと思う。井本先生だけでなく、他の先生方も良いところを見つける視点が鋭く、温かに見守ってくれるため大変魅力的。思春期を迎えて親から離れていく中でも、安心して通わせられる。
電車で通うなど面倒なことは全力で嫌がる子だが、よほど楽しいようで自ら時間調整をし1人で通うことができている。
息子が「いもいも」に通い始めて約2年が経ちますが、具体的な何かができるようになった!というような目に見える結果は、正直よくわかりません。でも、いつも「楽しかった~」と帰ってくる息子を見ていると、言葉は少ないながらも、本当に安心できる雰囲気の中で、思いっきり楽しんで過ごしてきたことが垣間見えます。
先生からの連絡では、息子は聴く力を発揮し、時には皆を引っ張る役目を担い、その場の雰囲気を作っていると伺っています。思春期の真っただ中で寡黙に過ごしている、家庭での姿からは考えられない成長をしているのだと驚きを感じるとともに、具体的には表現できない、何かを獲得しているのだと確信しています。
ここからは親の想像ですが、いもいもではどんなにおかしなことをしても、馬鹿にされることはなく面白がってくれるので、安心して自分をさらけ出して楽しめるのではないかと思っています。その中で、お互いの表現に影響しあいながら楽しむ中で、自然と人に寄り添う力、人と人を繋ぐ力、自分を表現する力など、いろいろなものを得ているのかなという気がしています。そして、いもいもの仲間と先生は、本当に温かくて、どんなことも大きな心で受け入れてくれる、そんな空間を作ってくれているのだと…。
中1から、数理思考力クラスに通わせていただき、週に一度のこの時間をとても楽しみにし、楽しさに満ち溢れた表情をして帰ってきます。
引っ込み思案の息子でしたが、数年前から、スポットで参加させていただき、すぐにお友達と仲良くなれたり、先生に懐いている様子は、息子の中に隠れていた何かを引き出してくれたように感じました。
現在も、新しい環境の中での出会いには、積極的に話しかけて、友達作りをしたり、学校の先生に対しても、躊躇なく話しかけられる姿は、いもいものお陰だと思っています。
試験や、受験のための勉強をする場ではなく、成績にとらわれず、思考力をつけるという、いもいもの理念に親として共感しています。「今日も楽しかった」という反応以外、授業の様子はあまり話して来ないので、実際はあまり分かりません。
しかし、先生が時々送ってくださるメッセージの様子から、粘り強く問題に取り組んだり、納得できる答えを導きだそうと考え抜いている姿から、効果的な時間が過ごせていることを実感しています。
自分で考える力をもって、これからの時代を生きてほしいと思っています。
「いもいも」と言うと、学校に行きづらい子供たちの居場所として取り上げられることが多いと思いますが、我が子のようにごくごく普通の学校に行っている子供にとっても、いもいもは大事な場所です。
とかく学校は窮屈な場所になりがちです。周りの価値観や常識、規則、定期テスト、学校行事・・・どれも大事な経験でしょうし、そこから学ぶことも多い。でも、もっと自由に、そのままの自分で、時には突拍子もないことを思いつくような自分も大事にしてほしい。それはとても楽しいことだし、それが楽しいことだと知っているのは、学校で教わる知識より大事かもしれない。だっていもいもにいる人達を見てごらん、大人も子供も変人ばかりで、みんな本当に楽しそうにしているでしょう。
そんなことを伝えたくて、子供をいもいもに通わせているような気がします。
小学生の頃、学校に通うのが辛い時でも、「いもいも」から帰ると「楽しかった!」と言っていて、その笑顔が見られるのが親として嬉しかったです。自分に合った中学に進学し友達もできて楽しそうな今も、「いもいも」はより素のままの自分でいられる居心地のよい場所だそうです。自分の発言したことに、賛同はしなかったとしても、あたまから否定的なコメントをする人が「いもいも」にはいない、相手の言うことにちゃんと耳を傾ける。だから安心してやってみたい事や意見が言える。「みんな、いい意味で「普通」じゃないし、絶対に相手をジャッジしない。」とも言っていました。縁あってずっと通わせていただいていますが、こんな教室が存在するって改めてすごいことじゃないかと思います。
「いもいも」で扱った問題を自宅で私に説明してくれる時、説明しながら問題が面白くなって夢中になって解き始めることもあります。私が通常みんなが難なく解けるという問題でてこずって、「私みたいなタイプが教室にいたらどうなるの?」と聞いたら「大丈夫、みんなちゃんと説明してくれるから」とちょっと誇らしげに言っていました。そんな様子を見ているときも、「ああ、よかったなあ」と嬉しさで胸がいっぱいになります。また、数理のクラスといえども出来不出来、成績が関係ないというのも、何にもしばられない、仲間同士ギスギスしない心地よさがあるようです。
「いもいも」のことを話してくれる時の生き生きとした表情を見ているだけで、親は十分に彼が幸せな時間を過ごしていることがわかります。この先、大人になって何か辛いことがあったときでも、いもいもで出会った人たちのことを思い出せば、自分の生きている世界が「まんざらじゃないはず」と思えるような気がします。
いもいもの数理の授業の何が魅力かというと、ひとつのテーマにじっくり取り組めるところだそうです。学校では1回50分、せいぜい2回の授業までですが、いもいもだと一ヶ月ほど同じテーマに取り組めることもあって満足感があると言っていました。子供の頃「いもいも」のような授業を今まで体験したことのない私には、そういうことが嬉しいものなんだ、と新鮮な意見にうつります。ひとつのことを考え続け、じっくり取り組みたい子供には、「いもいも」には学校とは違った時間の流れの中で学べる充実感があるのだと知りました。また、学校の数学の授業も好きだけれど、いもいもの方が圧倒的に生徒が主体というスタイルなので、提示されたものを言われた通りにやらなくてもいいし、自分で決められる範囲が大きいので、常に「自分」があって活動しているという実感があるそうです。こうした話を私にしてくれるときの表情にははっとさせられるものがあります。心からそう思っているからでしょうか、確信に満ちた話し方で、力強さを感じます。(ファンの方が推しについて語るときの熱が入った感じに近い?)
ちなみに学校では数学は好きなものの、テストの成績は特別良いというわけではありません。テストに対しては問題集を3周ほどこなすために、わからない問題は考えこまずに解答を見てパターンを習得していく必要があります。そのやり方で点数が取れたらそれなりに満足だし、そうして得意になっていった先に面白さを見出すこともあるとは思いますが、テスト対策をしているときはあくまで必要なことをこなす「仕事」という感じに近く、頼まれなくてもやりたいというような熱意がわくことはありません(自分などはまさにその結果、つまらない→やらない→苦手になりました)。解き始めたらどんどんやってみたくなっちゃうという経験は「いもいも」だからこそで、その経験があるから成績は良くなくても「数学は好きだよ」と言えるのかもしれません。点数がなかなか取れないことが続いたらだんだん嫌いになってしまうことが多いと思うので、どうしてそう言えるのかなと思っていました。
成績が気にならないと言えば嘘になりますが、とっても感受性が豊かで学ぶことも好きそうなお子さんが成績が低いことで心が晴れない様子をしている話を聞くと、成績とは何のためにあるのだろうかと思います。成績というものがあると、おおらかな校風の学校でも子供たちの間でやっぱりちょっとぎすぎすした感情は生じるようです。最低点はどこのクラスの誰だった(本人は一見あっけらかんとオープンにしているけれど内心はどういう気持ちがわからない)という話や「もうあきらめた」「今さら追いつかない」という言葉を教室で聞いたりするのは心がちくっと痛むそうです。「いもいも」は成績が関係ないので、そういうことがない世界で考えることの楽しさ、共同作業の楽しさを味わえるというとても貴重な経験を重ねさせていただいていると思います。
デイクラス
不登校になって以来、勉強しようとすると鉛筆を持つ手が震えたり、パニックを起こして計算プリントを破ったりしていた子が、いもいもではすんなり数理パズルを解き出したので、本当にびっくりしました。また、学校では萎縮してなかなか話せなかったのに、言語コミュニケーションの授業では積極的に発言して笑いまでとっていると聞き、それも驚きでした。保護者はもちろん、本人さえも気づかなかった本来の自分らしさを、いもいもが引き出してくれたと感じています。保護者にとっても、教育のあり方を根本から考え直すきっかけとなり、たいへん学びの多い日々でした。
毎回とても集中して問題を解きヘトヘトになって帰ってきますが、通った日は本当に夜もご機嫌で過ごしています。やりきれなかった問題を解いてみたり、いもいもでやったオセロを使ったあたらしいゲームのアレンジ版を考えたり、彼に取って新しい考え方と出会う場になっているのだと思います。彼は論理や数理の話を親でも理解できず生返事してしまいがちなのですが、彼の考えを人に伝えて真剣に耳を傾けてくれるようなので毎回通うのを心待ちにしています。
私が最も有り難く感じているのが、先生方のお子様方に対しての言葉掛けです。型にはまった言葉ではなく先生方それぞれの言葉で接して下さっている事、その返しが私達親子の場合、パズルのピースが1ピースずつ円滑にはまっていく感じがしています。
個性的という言葉はどこでも聞きますが、それを体感できる場はまだまだ少ない様に思います。こちらは先生方皆様が個性豊かでそれをスクールを通して体感させてもらえている事が心地の良さの一つでもあると思います。
いもいもに通って、幼稚園に通う前の(集団生活に入る前の)、好きなことに興味を持ってやりたいことをやっていた、子どもらしい姿を取り戻したように感じます。小学校入学後は過剰適応でいつも疲れていて、家でストレスを爆発させたり、「自分が嫌い、生きるのがしんどい」とまで口にしていましたが、今は気持ちが前向きで色々なことを楽しそうに話す姿を見て、本当に嬉しいの一言です。
いもいもでありのままの自分が出せることにより、いもいも以外の日に学校へ行く、エネルギーの源にもなっている様子です。
何より、いもいもスタッフの皆さんが、子どものパーソナリティをよく見て褒めてくださるのが、親として誇らしくありがたいです。
いもいもに子どもが通うようになって、まず親がとっても楽になりました。学校や他のフリースクールでは、先生にいろいろとお伺いを立ててお願いをしたり、説明をしたり、謝ったりと、やりとりに疲れ果てていましたが、いもいもさんではありがたいことにそういったことが何もありません。
評価されない安心感も大きいです。先生方が本当にそんなこと1mmも考えておらず、全く別のことを考えています。そういう先生方の眼差しが、親にとっては安心であり希望でありワクワクです。
子どももただただ楽しそうに生き生きとしていて、そのキラキラのおこぼれを親がもらい、いもいもさんのおかげで子どもも親も健やかで、幸せです。子どもを育てていて初めて心から感謝し尊敬し、面白いな!と思う先生方に出会えた気がします。
思考力教室はお試しのつもりで通い始めました。「こういうパズルは苦手だろう、そのうち嫌がるかもな」と思っていたのですが、私の予想に反して特に抵抗もなく通い続け、そのうちに本人がポロッと「楽しい」と言ったときには驚きました。「えー!あんな難しいパズルが楽しいの!?」と思わず返してしまったのを覚えています。笑 子どもの可能性を親が決めつけてはいけないのだと気づかされました。
森の教室は、週に一度、電車で片道2時間かけて行くだけでも大冒険でした。最初の頃は、行くたびにたくましくなって帰って来るのを感じ、焚き火の香りとともに帰宅するのが待ち遠しかったです。笑 自分でできることが少しずつ増え、お友達とも自分なりの距離感で遊べるようになり、それが「自分はこのままでいい」という自信につながっているように思います。学校では友達づくりの苦手な息子ですが、いもいもの仲間とは本人なりの距離感で無理なく関われているのかなと言葉の端々から想像しています。大人の圧やプレッシャーのない空気感のなかでは、どの子も自分のままでいられるのだろうな、だから張り合ったり争う必要もなく穏やかな関係が築けるのかもしれないな、なんて思ったりもしています。
気が付けばいもいもには、もう5年間お世話になっています。
最初は母子分離が苦手で教室にも1人で入ることはできず、常に付き添っての行動の日々でしたが、それでもいもいもは行きたい場所であり、会いたい講師達、一緒に過ごしたいお友達。
その空間は、言葉で言い表せないほど、安心な時間、人、そんな環境を作り出せる講師、本当に素敵な講師と出会えて我が子は生命を吹き返した感じです。発達がゆっくりな子供だったので、大丈夫かな?と思ってのスタートでしたが、一体何を私は心配をしていたのかな?と思うほど、子供の小さな行動も見逃さず声も聞き逃さず拾ってくれて認めてくれる。今までの自分が恥ずかしくなるほどでした。
ただの塾ではなく、ただの昼間の居場所ではなく、そこには生きて行く力の根っこを沢山増やしてくれて、太くしてくれる。栄養たっぷりの大木になっていってるところ。不安だらけだった我が子は、今ではいもいもの行事には1人で参加もできるようになり、電車にも1人で乗れるようになり、その子なりのペースですが、着実に栄養を蓄えていっているところ。
この先にはどんな花や実を付けるのかを楽しみだと思える子育てになり、親では気が付けなかったり見逃してしまう視点をいつもいただき、いもいもに出会えたことに、通えていることに感謝する日々です。